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岡まことのらくごしゃ日和

シンガーソングライター岡まことのブログ。美術の成績は2です。

陽気ではないブログ2

ブログ
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第四回美術2個展があります。詳細はまた改めて公式からアレします。

ここから下は、僕を嫌いじゃない人だけ読んでくれたらいいです。まだよく知らない人は読まない方がいいと思う。まぁどっちでもいいや。どうせ嫌われるし。



自分が行うすべての行動が、これまで生きてきてしまったことに対する償いになればいいのにと思うけど、それはどう考えても無理な話だ。わかってはいるんだけど。

日常的に許せないことが二つある。

一つ目は「構ってちゃん」という考え方について。これは、心が人並みくらいに強い人間、あるいは他人のことを気にする必要のない適当かつ無神経な人間が、他人を見下す場面で使う常套句。

恐らく僕は、このような事をあっさり口にする人たちから見ると「構ってちゃん」なのだと思うけど、「それじゃない感」がすごい。なんというか、たしかに自らのざまを嘆くのは、慰め待ちのように思われるかもしれない。認められたいと叫ぶ事は、ずるくて愚かしいことかもしれない。でもそれをただ「誰かに構ってもらえたら全て収まる発作」みたいに捉えられるのは心外だ。

吐き出したところでどうせ受け止められたふりをされる事などわかっているから(他人はこちらのことなど、別にどうなろうとどうでもいいからだ。こちらも他人のことなどどうでもいいように。どちらかが自殺してもいつか忘れるくせに、ヘラヘラ頷くわけで...)架空の世界にぶちまけて、それがどんな色をしているか時々見て「自分がまだここにいること」を何度も確認する。

二つ目は「自分に酔う」という状態について。

まさにこんな事を書いている僕は、ひどく自分に酔っていると思われているだろう。いや、その気持ちはわかるんだけど、なんというか、あなたが嘲笑を交えて内心で僕を詰るタイプのナルシシスティックとはちょっと違うんだ。なんというか書きたい事がちょっとだけあって、文章を作る上で整える段階での言葉を伝えるための「作為(下手だけどそれは今はおいといてほしい...)」であって、これを「酔っている」なんてあっさり断罪された日には、もう何にも言えないし、それこそ歌も書けない。それぐらいこの響きが許せない。

大体、「構ってちゃん」とか「酔っている」と軽々しく他人を馬鹿にする人間は、命をかけて物を作った事や言葉を発した事なんてないと思う。

でもあれだ、こういうの書いてると、自分にもそういう一面があると気付かされて余計落ち込むね。嫌だなぁ、生きるの。